剣鉾練習十四日目

小雨。本番用の本鉾の剣、剣はさみ、飾りの確認と紐の結びなおしをする。作業中雨が上がったようで、子供用鉾のみ練習。私は本鉾の調整を続ける。その後、紐の結び練習と、紐のしまい方の講習を受ける。紐の練習をしすぎて指の皮がひりひりしだした。
子供たちは鉾の鈴(りん)が鳴り始めておもしろいのか、しつこいほど練習する。いいことだけど、適当にやめてね。
鉾の練習はわかった!と思った次の日、わからなくなったりする。それの繰り返し。ようはきっちり完成していないのである。なので一応鉾は立って、鈴が鳴って、歩けるようになっても、わからなくなってしまう。結局完成形がわからないまま鉾差しから引退している人もいると思う。
段階で言うと、
まず鉾を立てられる。
鉾を持って歩けるようになる。
鉾を持って鈴を調子(リズム)良く鳴らしながら、行きたい方向に歩けるようになる。
ここまでできれば祭本番に出ることができる。ただ、ここが終わりではない。鈴を理想の軌道で振り、鈴当たりの後ろに正確に落とし、綺麗な音を出す。そのためのフォームをマスターする。そこまで行かないと嵯峨の菊鉾の技が完成したとはいえない。私もいまだ試行錯誤を繰り返している。見た目のフォームにとらわれて、鈴の動きを忘れていたり、音の調子だけ気にして、小手先で差してみたり、完成には程遠い。
みんなが同じあたりで苦労しているのだが、それには理由もある。技を見て覚え、わからないところは先輩に聞くのだけれど、技としてきっちり教える方法が確立していないのだ。ここが京鉾と嵯峨の菊鉾(他の町内の鉾のことはわからない)の大きな違い。京鉾には先生という手本となる存在がいるのだ。
昔、鉾差しの技術は実は秘伝であった。鉾を差す依頼を受け、金銭や食事の接待を受けていたからだ。誰にでもできるようになると鉾を差す人の収入が減ってしまう。
現在、鉾はたいがい地域の町内会や神社や祭の奉賛会が維持、管理している。想像だが昔から神輿は神社や地域で管理していたが、鉾に関しては財力のある個人が管理していたのではないだろうか。剣鉾は豪華な飾りと吹散、一人で巡行できる小さな祇園祭のようなものである。それを人が集まる祭で出すことは、富や力を披露することができる。鉾を祭に出すために熟練された鉾差しが必要だった。そう考えると鉾差しにとって祭は仕事であり、鉾、吹散を見せ、鈴の音を綺麗に鳴らすことで収入が得られていたのだろう。
京鉾の場合、秘伝となっていた技が、秘伝過ぎて後継者がなくなり、絶えそうになったところから先生が中心となって復活させた。嵯峨の鉾も実は一時途絶えていたが、それを地域の人が復活させた。嵯峨は田舎だけあって財力のある個人というより、昔から地域で鉾を維持していたのかもしれない。差し方も京鉾とかなり違うのでかなり前から独自に存在していたのだろう。
京都で昔から財力のあった家には今も蔵に鉾が眠っているかもしれない。剣はさみが残っていれば、どういう風に差されていたか想像できそうだ。
備忘録
串かつ盛り合わせ。出し巻き。
ビール。
串かつ盛り合わせは、私の父のいとこからの差し入れだったが、これはその先代からずっと続く差し入れメニューらしい。
なぜ串かつ。
練習も今晩で最終。宵宮なので宴げは控えめに。祭が終わりに近づくと寂しくなる。